ジャムを、ワインのある食卓へ

瓶に入ったジャムのイラスト

30年ほど前だっただろうか、パリに住む料理研究家の友人のアパルトマンに泊めてもらったことがある。凱旋門のすぐ近くの、とても小さな部屋だった。6階にある部屋へ行くには、鉄格子のエレベーターの扉を自分で閉めなければならなかった。

ボタンを押すとジーッという音がして、鉄格子はゆっくりと上っていくのだった。

毎朝、彼女はトレイにカフェオレとバゲットとヨーグルト、それに小さな瓶のジャムを10ほど乗せて出してくれた。私は朝食にジャムを出すといっても、せいぜい1種類か2種類という経験しかなかった。

けれど彼女の食卓には、色も形も違う瓶がいくつも並んで、好きなものを少しずつ選んで食べる。簡素なのに、これ以上ないほど豊かだった。贅沢とは、こういうことを言うのかもしれないと思った。

ガラス戸を斜めに跳ね上げる小さな窓から、赤茶けた屋根屋根が見えた。そのどこからも、細い煙突が突き出ている。これまでに見たことのない風景だった。それまで海外といえばホテルにしか泊まったことのなかった若い私は、その部屋で、初めて海外に暮らすという経験を、ほんの少しだけ味わった。

朝食は、その日々の真ん中にあった。

以来ずっと、私にとってジャムは、朝の、それも少し贅沢な時間のものになった。

その思い込みがくつがえされたのが、冬、青山のフレンチレストランL’EAUで開かれた、信州の素材で作られたジャムをめぐる会だった。スペイン料理研究家の渡辺万里さんが主宰する軽井沢ガストロノミープロジェクトが、信州各地の食材にスペインの感性を重ねて作っているジャムで、DULCE(ドゥルセ)と名づけられている。

信州各地の素材をもとにしたDULCE。
果実や野菜の香りを、料理やワインとともに楽しむ提案として紹介された

その日、L’EAUの清水崇充シェフが最初に出してくれたのは、庭に見立てた前菜だった。猪のリエットにはそうめんかぼちゃ(金糸瓜)のドゥルセ、ほろほろ鳥の白レバーにはかりんのドゥルセが使われている。

口に入れて、おやと思った。甘いソースではない。素材の味に、果実の香りがほんのり溶け込んでいるのだ。ジャムが料理の素材になる。パリの朝食以来、ずっと朝のものだと思っていたものが、料理のひとつの要素になっていた。

この会ではワインも重要な要素のひとつだった。注がれたのは、東御市のシャルドネ。リエットの脂とドゥルセの果実が、白ワインの酸の中でひとつになる。

続いて、あぐー豚にはナガノパープルのドゥルセが添えられており、こちらには上田市のメルローを合わせた。豚のうまみにブドウのジャムの香りが重なり、やわらかな赤ワインが料理とジャムのあいだをつないだ。

あぐー豚にナガノパープルのドゥルセを添えて
あぐー豚、根セロリにナガノパープルのドゥルセを添えて

ジャムを料理に使うこと自体は、考えてみれば不思議なことではない。果実の甘みや酸味は、チーズにも肉にもワインにもよく合う。それでも私の中で、ジャムは長いあいだ朝の食卓に属するものだった。この日の料理は、その思い込みを静かにほどいてくれた。

すっかり気に入ったこの楽しみ方を、この夏に試すのも楽しみだ。冷やした白ワインやロゼ、軽い泡を準備して、焼いた夏野菜や白身魚、よく冷えた果物に、ほんの少し添えてみたい。食後のチーズや焼き菓子に合わせても、もちろんいい。

ジャムは朝の食卓を出て、30年かけて夜の食卓へやってきた。それを楽しめるほどに、私自身も成熟した。果実の気配を閉じ込めた小さな瓶ひとつで、ワインのあるテーブルが、これほどにも豊かになるという秘密を知るほどに。

Information: 軽井沢ガストロノミープロジェクト

Illustration by Beatriz Camaleão
Photographs by Shoko Sakurai / Images courtesy of Karuizawa Gastronomy Project