変わりゆく世界で、何を大切にするのか ──『プラダを着た悪魔2』が描いた、人生を語り直すという成熟

赤いドレスと赤いハイヒールの女性の足元イラスト

『プラダを着た悪魔2』を三度観た。

一度目は、ストーリーを追うことで精いっぱいだった。20年前の記憶を抱えたままスクリーンを見ていると、どうしても物語の行方に気持ちを持っていかれる。

二度目は、細部を確認するために観た。冒頭の青いベルトのシーンや、サシャの特集号の色校をアンディとナイジェルが見ている場面で、サシャが新しい婚約者と一緒に写っている写真があったことにも気づいた。そんな小さなディテールに目が留まると、この映画が単なる続編ではなく、人物たちの時間の経過を丁寧に織り込んでいることがわかってくる。

そして三度目に観たとき、ようやくこの映画がわかった気がした。これは、ファッションでも、キャリアでも、恋愛でもなく、「変わりゆく状況の中で、あなたは何を大切にするのか」という問いをめぐる映画なのだ。

その問いは、登場人物たちに何度も形を変えて訪れ、それぞれ異なる場所から同じ問いが差し出される。そして観客は、誰かひとりだけに感情移入するのではなく、自分の現在に近い人物をそのつど見つけながら、問いを受け取ることになる。

20年後、彼女たちは何を選び直したのか

20年前の『プラダを着た悪魔』は、若い女性が華やかな仕事の世界に入り、自分を見失いかけながらも、最後には信じる道を選び取る物語だった。そこには、若さゆえの野心や痛み、そして興奮と、その世界に適応するために何かを差し出してしまう危うさがあった。

けれど『プラダを着た悪魔2』で描かれるのは、若さの勢いだけでは越えられない現実があり、成功したからこそ失うものがあり、かつて信じていた価値が、時代の変化によって揺らいでいく物語だ。中心にあるのは、もはや何者になるかではなく、変わってゆく世界の中で何を残し、何を選び直すかという問いだ。

アンディは、かつてミランダのもとを去った人間である。あの世界から離れることで、自分の良心や価値観を守ったはずだった。けれど年月が経てば、若い頃に下した選択だけで人生全体を説明することはできなくなる。人は一度選んだ道を、何度も意味づけ直しながら生きていくことが必要になる。

エミリーにも、かつての痛みや野心が残っている。けれど彼女は、その過去をただの敗北として抱えているのではない。思い通りにいかなかった経験を持ったまま、それでも別の場所で自分の輪郭を作り直そうともがいている。

ナイジェルは、華やかな世界の内側で美を信じ続けてきた人だ。時代が変わり、メディアの形が変わり、雑誌という器が揺らいでも、彼の中にある美への信頼は簡単には失われない。

そして、やはりミランダである。

私がもっとも心を動かされたのは、ミラノでの「最後の晩餐」の前で繰り広げられた、ディナーでの場面だった。沈みゆく雑誌という業態が仮になくなったとしても、美は残る。彼女はそう言ったように見えた。

雑誌は終わるかもしれない。紙のページをめくるという行為も、かつてのような特別な意味を持たなくなるかもしれない。けれど、美しいものを見極め、それを世界に提示するという営みそのものは消えないのだと。

この場面が胸に迫ったのは、私自身が長く雑誌と編集の世界にいたからだと思う。雑誌はかつて、世界の見方を提示する場所だった。いま、その器は大きく変わっている。SNSがあり、動画があり、ニュースレターがあり、個人がメディアになる。情報はかつてない速度で流れ、AIは文章や画像を一瞬で生成する。

それでも、編集という営みは消えない。何を選ぶか。なぜ今それを見るのか。どの文脈に置くのか。どんな余韻を残すのか。そうした判断には、その人が何を美しいと思い、何を大切だと考え、どんな未来に手渡したいと思っているかが表れる。

ミランダが見ているのは、過去への執着ではない。雑誌という形式を永遠のものだと信じているわけでもないのだと思う。むしろ彼女は、形式が変わってもなお残るものを見ている。美を選び取る眼。世界に秩序を与える力。人の欲望や憧れや孤独を、ひとつのイメージとして立ち上げる編集の力。彼女が手放したくないものは、雑誌という物体ではなく、その奥にある美意識なのだ。

Narrative Identity ── 人生は、何度でも語り直される

心理学に、「ナラティブ・アイデンティティ」という考え方がある。人は、自分の過去、現在、未来をひとつの物語として結び直すことで、自分が何者であるかを理解する。人生は単なる出来事の連続ではなく、後から意味づけられ、語り直されることで、その人自身の物語になってゆく。

『プラダを着た悪魔2』の登場人物たちは、まさにその地点に立っている。彼女たちは、20年前の自分をなかったことにはしない。けれど、20年前の物語に閉じ込められているわけでもない。それぞれが過去を抱えたまま、続きを生きている。

この映画が秀逸なのは、誰かひとりの答えを正解として描かないところにある。変化の時代に問われるのは、正解ではなく価値である。何を選べば得をするかではなく、形を変えても信じたいものは何か。その確認がなければ、変化にただ流されてしまうだけになる。

年齢を重ねることもまた、変化である。かつて似合っていた服が似合わなくなるり、気力と体力が減ったと感じる。そして社会に求められる役割が変わる。翻弄される日々の中で、自分にはまだ何かができると思うときもあれば、もう人生を失敗してしまったのではないかと絶望する瞬間もある。

そのとき、人はもう一度、自分の人生を編集し直すことになる。過去の自分を切り捨てるのではなく、別の順番で並べ替えてみたり、かつての挫折に新しい見出しをつけてみたりして、今の年齢にふさわしい形で取り戻すのだ。若い頃と同じ速度では走れなくても、別の深さで世界を見ることはできる。

終わりつつあるものから、何を次の時代へ渡すのか

『プラダを着た悪魔2』は、ただのおしゃれなファッション映画ではない。美しい服や華やかな舞台はもちろん大きな魅力だが、この映画が本当に描いているのは、変化の中で自分の価値をどう守り、どう選び直すかという問題である。かつての自分をどう扱い、変わってしまった世界で、何を信じるのか。そして、終わりつつあるものの中から、何を次の時代へ渡せるのか。そこで自らの果たす役割も問われる。

映画は答えをくれない。けれど、問いを残す。

変わりゆく状況の中で、何を大切にするのか。

その問いを受け取ったあと、答えを出す場所はそれぞれの生活の中にある。仕事の中にあり、住む場所の中にあり、誰と時間を過ごすかという選択の中にあり、これから何をおこなうかという決意の中にある。

社会は変わる。年齢を経て、人生は同じ姿ではいられない。

それでも私たちは、自分の物語をもう一度語り直すことができる。そしてその語り直しこそが、人生の次の章を始めるための、静かな力になると信じたいと思う。

English Summary

The Devil Wears Prada 2 is not simply a stylish fashion film or a nostalgic sequel. Beneath its glamour, it asks a deeper question: what do we choose to protect when the world around us changes?

Through Andy, Emily, Miranda, and Nigel, the film explores different ways of responding to transformation. Careers shift, media changes, ambitions age, and old identities no longer fit as they once did. Yet beauty, discernment, and the act of choosing what matters can remain.

Drawing on the idea of narrative identity, this essay reads the film as a story about rewriting one’s life without denying the past. In a changing world, maturity may not mean having all the answers. It may mean knowing what is still worth choosing again.

Illustration by Illo Design